同棲を始めた途端、喧嘩ばかりになって早々に別れを考えるカップルは少なくありません。
喧嘩ばかりの毎日だと自分自身も当然辛いですが、ふとこうも思います。
「彼のためにも別れたほうがいいのか…」と。
好きでずっと一緒にいたくて同棲を始めたのに、彼を苦しめてばかりという現実も辛いですよね。
私も彼イツキのために、別れたほうがいいのかと考えたことは何度もあります。
もっと合う女性がいるのではないだろうか…、私といたら不幸になるのでは…
だけど今は「彼は私と一緒にいて幸せになれる」と決めつけて生きています。
喧嘩ばかりの毎日で、日本語が分からなくなってきた
日本語って曖昧な表現が多いですよね。YESともNOとも取れるし、急いでいるともゆっくりでいいとも取れる。良いとも悪いとも取れるし…。
彼氏のイツキと喧嘩ばかりの毎日に突入するまでは、日本語の難しさに直面することはありませんでした。曖昧な表現でも、適当に相手の気持ちを汲み取って、理解した気になっていたんでしょうね。
「ダメ」の強さが伝わらない
最初は、私が先にフリーランスで仕事をしていました。彼も一緒に働くようになったのは2年ほど経ってからでしょうか。
一応先に仕事をしていた立場として、彼には色んなことを教えてきました。その中でものすごく伝わりにくいなと思ったのが「やってはいけないこと」です。
致命的なミスが何なのかは、仕事の経験を積んでいくと分かってくるものです。彼が大きなミスをした時には、それがどれだけやばいことなのかを説明しました。
だけど「もう分かったから」と言い張る彼は、再び同じミスをしてしまいました。そこで私は仕事する意識が低いのではと疑ったわけです。
フリーランスは誰も守ってくれないし、相手と顔を合わせて仕事をするわけではないから、コミュニケーションだって最低限。そんな中で頼りになるのは、結果しかありません。
私はミスの重大さを表現するために、色んな日本語を使ったと思います。語彙力がないなりに…ですが。
だけど、それでもいまいち伝わらない日々が続き、私は日本語ではなく、怒りで表現するようになりました。
ものすごーく怒れば伝わるのだと考えたのでしょう。まるで小さな子供相手にすることですよね。
彼は「そこまで言う?」「そんなに怒ることなの?」とより激しく抵抗し、喧嘩の規模はどんどん大きくなっていきました。
力でねじ伏せようとする自分に嫌気がさしてくる
怒鳴っている、怒っている自分なんて、好きになれるはずがありません。私は食っていくためには仕方ないんだと言い聞かせつつも、彼と感情的に接する自分がどんどん嫌になっていきました。
「私の伝え方が悪いんだ」「伝わらないからって感情的になるなんて幼いな…」そんな葛藤がありながらも、日々の生活に流されて何も改善しないまま時間だけが過ぎていく…。
このループにはまっていた頃は、本当に辛かったです。
喧嘩ばかりでストレス絶頂期。彼に正直な気持ちを打ち明けたら…
初めてこう切り出した日、彼はこう返しました。
いつも”お前のせいで俺はしんどい!”的なことを言われていたような気はしますが…。それはそうとして「幸せかどうかは自分で決める」というひと言に少しだけ救われたのを覚えています。
それからこうも言っていました。
同棲して喧嘩ばかりの毎日。別れたほうがいいと悩んでいたのは、私だけではありませんでした。
喧嘩ばかりの毎日に終止符を打つべく試行錯誤の日々
彼も私も同棲する意義を感じることができず、喧嘩ばかりの毎日に「相手を思いやって別れたほうがいいのでは」と悩んできました。
相手を思いやる愛情が残っている内に別れたほうがいいのかとも思いましたが、私たちが出した結論は「分かり合う努力をしよう」ということでした。
そう決めてから、いい感じの関係を築けるようになるまでには、結果的に数年の月日を要したわけですが、頑張った価値は十分にあったと思います。
喧嘩のルール作りは絶対に必要
あなたは、同棲するうえでのルール決めはしていますか?
たとえば積もり積もってしまうとゴミや不満が大変なことになる家事。出来る人が出来る時にやればいいい…という曖昧さでは、遅かれ早かれ衝突することになってしまいます。ざっくりとでもいいのでルールを決めていく必要があります。
そしてもうひとつ、喧嘩のルールも作っておくべきです。
あなたが彼と喧嘩ばかりの毎日で別れを意識するほど辛いなら、それはルールを決めていないか、決め手いたとしても2人には合っていない可能性があります。
私たちは、喧嘩のルールを何百通りも試してきたと思います。自分で思いつく場合もあれば、本やネットの情報を拾って試してみたりもしました。
大変だったし、ルールを破られたりするとすごく傷つきもしましたが、だんだん2人に馴染むルールが分かってきて、楽になってきました。
「相手のために別れる」という選択肢はありなのか?
好きだけど、もっと一緒にいたいけど、喧嘩ばかりだから別れるという選択。そんな選択肢はないというのが、昔の私の考えでした。
「好きなのに別れる」ではなくて、「別れたいから別れる」のだろうと。そう思っていたんです。
だけど、イツキと喧嘩ばかりの毎日を送るようになって、そういう選択肢もあるかもしれないなぁと考えが変わりました。
ただ…そうは言っても、私たちは結果的にこのまま一緒にいるという選択をしたわけですが。
相手のために別れるという価値観が生まれたけれど、それを選ばなかった理由はただひとつです。
生活を優先した私たち
愛情がちゃんとあるのは分かっているのに、同棲を機に喧嘩ばかり。別れることが相手のため…と思って、家を出ようと決意したこともありましたが、結局そうしなかった理由。それは、生活のためでした。
人を愛する気持ちで乗り越えました!と言えたら良かったのですが、私たちの場合、別れるお金がないから別れられなかったのです。
つまり、家を出て新たな生活を始められる経済的なゆとりがあれば、別れた可能性は高かったということ。
お互いに別れるという逃げ場がない私たちは、衝突しながらも、どうしたら一緒に暮らしていけるのかを模索していき、今に至ります。
結果として、逃げ場がないのが良かった
何が正しいのか…って本当に分からないですよね。
相手を想って別れるのも正しい。衝突しながら一緒にいるのも正しい。そして私たちのように生活のために一緒にいるしかなかったという道も結果的に正しかった。
大切なのは、どんな選択でも選んだからには「正しい道」へ持っていくことではないでしょうか。そうしたら、大抵のことは「正しい」になるのではないかと…そう思います。
私たちの場合は、経済的な問題を抱えていたので力技で乗り越えていきました。
家庭内別居もできない狭い部屋。一緒に仕事をしている以上、必要最低限な会話をしなくてはいけない環境。
見方によってはしんどいとも言えます。
ですが、どうせ一緒にいるならやるだけのことはやろうと腹を括るしかなかった環境…という見方もできます。
やるしかない!と思った人間って強いですよね。私も彼もなかなかのヘタレなのに、それでも乗り越えられたのですから。
まとめ
ドラマのセリフだったと思うのですが「運命の人なんていない。運命の人に育てていくの!」みたいなことを言っているシーンがありました。
私たちも、お互いが運命の人のなるよう、育てていこうと思います^^
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